COVID19への過剰診療を「2類感染症ですから」で正当化するのが誤っているワケ(前編)

この記事は、2022年11月27日に投稿しました。

もくじ

※本稿の論旨は、すべて筆者個人の見解を基に記述しています。
※昨今のコロナパニックへの警鐘を兼ねたものであり、やや語気を強めた内容で記述しています。どうかご容赦ください。

久しぶりの投稿です。
筆者が日常診療のなかで思ったことを思いのままにつづります。
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Ⅰ. 無思慮な抗原検査を正しいと思っていないか

こんな場面を想像してください。
「〇〇号室の患者さんが発熱しました」
「コロナの検査はまだしてないの?」
「はい。主治医に連絡してやっておいてもらいます」
まあ、よくあるシーンですよね。

でも、ホントにこれでいいのか・・・・・・。そんな風に考えたことはありませんか?

COVID-19が、「未知の感染症で、もしかしたら重症度の高い危険な疾患かもしれない」と思われていた時期であれば、このような検査優先思想もまかり通ったかもしれません。

ですが、2022年11月現在、はたしてCOVID-19はそこまで危険な疾患なのでしょうか。

ご承知のとおり、COVID-19は重症化も稀で、一週間程度で治りますから、もはや一般的な感冒と同じです。
(なお、一部のメディアは、「重症化しにくけど感染しやすい」と表現していますが、「感染しやすいけど重症化しにくい」と言うべきですよね。表現の専門家たるメディアであればこそ、世間の不安を面白半分に煽っていると捉えられても仕方ないと思います。)

仮にCOVID-19抗原反応が陽性、かつ感染者と診断されても対症療法が治療の基本です。

「コロナ薬」と報道される薬剤も、効果が「24時間だけ咳などの症状を減らす」といった程度だったり、併用禁忌薬が非常に多かったりと、どうも特効薬と言うには今一つです。
(むろん、短い期間で薬の開発に努力した研究者の皆さんに対しては、もっと社会的に讃えられるべきですし、国から十分な補助が行われるべきなのでは、と思います。)

つまり、もはやコロナだからと騒ぎ立てる必要はないのです。

にも関わらず、冒頭で挙げたシーンのように、どうして多くの医療従事者は血眼になりながら「コロナの検査をするのが当たり前」という雰囲気になってしまっているのでしょうか。ただの感冒なのに。

Ⅱ.「2類感染症ですから」が論理的に破綻しているワケ

そうした疑問を口にすると、決まり文句のようにかえってくるフレーズがあります。

「2類感染症相当ですから」

それは、2類感染症相当なので、法的にしらみつぶしに調べなければならない、という意味のようです。
ですが、ホントにその理屈は正しいのでしょうか。

-1. 「2類感染症ですから」が成立しない理由

コロナについて深く考えずに全体主義に支配されてしまっている人々のことを、「コロナ脳」や「PCR真理教」「抗原検査真理教」と呼ぶ人々もいますが、筆者は、相手への蔑称を好みません。

ですが、自分の行動を深慮せずに「熱が出たら検査するものだから」という考えに支配されてしまっている人たちをみると、とても残念に思います。

自覚の有無は別としても、短慮に過激な行動を正しいと信じ込んで突っ走ってしまうのは、本質的な部分で旧制憲兵隊やゲシュタポ、有害な悪質宗教団体となんら変わりません。

本稿は、そうした無自覚な危険思想の人々への警鐘も兼ねた投稿ですから、筆者の主張が伝わりやすいように、便宜的に彼らのことを「検査積極派」と呼ぶことにしておきます。

さて、検査積極派のさけぶ「COVID-19が2類感染症だから調べるものだ」という論理展開で考えるならば、ひとつの疑問が生じます。

なぜ、彼らは他の2類感染症のことを鑑別にいれないのでしょうか?

なぜ、結核や急性灰脊髄炎を疑って、COVID-19と同じ規模の無差別的な検査を行わないのでしょう。

このように発言すると、こちらがドン・キホーテを見るような視線を浴びるのは間違いありません。
検査積極派の人々も「だって、ねえ・・・・・・」と目を丸くして口をつぐむことでしょう。

言わずもがな、他の2類感染症を調べる必要がない理由は、結核も急性灰脊髄炎も流行していないからですよね。

つまり、「抗原検査をやろうかな」という気になるのは、世間でCOVID-19が流行しているからにすぎません。

このことは、積極検査方針の理由や理屈づけは、「流行しているから」のみで十分であって、「2類感染症だから」という論理展開自体が不要であることをイミします。
では、なぜ検査積極派の人々は、わざわざ言わなくてもいい「2類感染症だから」と言いたがるのでしょうか。

そのことに触れる前に、「2類感染症だから」という理由そのものも考え直してみましょう。
「2類感染症だから」が通用するのは、本来は診断がついた後からです。

「この患者はCOVID-19で、2類感染症相当だから隔離しよう」

ならハナシのスジは通ります。

ですが、

「COVID-19は2類感染症相当だから、視野にはいる患者たちを洗いざらい調べつくして、あぶり出された人を隔離しよう」

は、中世期の魔女狩りの発想以外の何物でもありません。
診断がつく前の段階から「2類感染症だから」は通用しないのです。

「2類感染症」なのは、あくまでもCOVID-19という疾患そのものであって、発熱した時点では2類感染症だと決めつけられないのです

-2. 特措法と感染症法を拡大解釈してはいけない

このように書くと、具体的な法的根拠を挙げる人も少なくありません。

そこで、検査積極派のバイブルである「新型インフルエンザ等対策特別措置法(令和3年2月改定)(以下、特措法)」の改正文について、論拠と推定される部分を原文のまま抜粋してみました。

「2.⑤積極的疫学調査の実効性確保のため、新型インフルエンザ等感染症の患者等が積極的疫学調査に対して正当な理由がなく協力しない場合、応ずべきことを命令できることとし、命令を受けた者が質問に対して正当な理由がなく答弁をせず、若しくは虚偽の答弁をし、又は正当な理由がなく調査を拒み、妨げ若しくは忌避した場合の過料(30万円以下)を規定する。」

この文章が、検査積極派の唱える「命令に背くと罰を与える」という弾圧政策の論拠のようです。

(余談ですが、法律改正に際しては、今回の検査積極派のように短慮な集団の発生を助長させることが予測されたため、人権擁護団体や法律家たちが猛反対したのです。が、マスコミと一部の政治屋の世論操作を抑えきれずに強引に改正されてしまいましたよね・・・・・・。投票権をお持ちの国民のみなさんは、当時のこと、きちんと覚えていますか?)

ですが、よく読んでください。
「正当な理由がなく」と書かれています。

この「正当な理由」「正答ではない理由」とはなんなのでしょうか。

そもそも、特措法の第一条には、このように記載されています。

「新型インフルエンザ及び全国的かつ急速なまん延のおそれのある新感染症に対する対策の強化を図り、国民の生命及び健康を保護し、国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすることを目的として制定され、平成24年5月に公布されました。(特措法第1条)」

つまり、この特措法は国民生活の影響が最小となることが目的の法律です。

ストレートに言いますが、ただの感冒が疑われるのに、検査を強要し、社会的拘束を負荷することは、果たして国民生活を最小とすることにつながるのでしょうか。

「風邪だから養生しなさい。エチケットとしてのマスク着用を意識しなさい」
で十分です。

国民の生活に重大とは言えない、きわめて軽微な影響が推測される疾患に対して、果たしてこの法律は本当に適応されるのでしょうか。

それでも、検査積極派の人々は納得しないかもしれません。

もう一つ、現実に即していない感染症法の砦があるからです。

その感染症法のうち、今日の無思慮な検査乱用の論拠となりうる部分を抜粋してみました。

(2)臨床的特徴

多くは2~7日、最大10日間の潜伏期間の後に、急激な発熱、咳、全身倦怠感、筋肉痛などのインフルエンザ様の前駆症状が現れる。2~数日間で呼吸困難、乾性咳嗽、低酸素血症などの下気道症状が現れ、胸部CT、X線写真などで肺炎像が出現する。肺炎になった者の80~90%が1週間程度で回復傾向になるが、10~20%がARDS(Acute Respiratory Distress Syndrome)を起こし、人工呼吸器などを必要とするほど重症となる。致死率は10%前後で、高齢者及び基礎疾患のある者での致死率はより高い。

(3)届出基準

ア 患者(確定例)
医師は、(2)の臨床的特徴を有する者を診察した結果、症状や所見から重症急性呼吸器症候群が疑われ、かつ、次の表の左欄に掲げる検査方法により、重症急性呼吸器症候群の患者と診断した場合には、法第12条第1項の規定による届出を直ちに行わなければならない。
この場合において、検査材料は、同欄に掲げる検査方法の区分ごとに、それぞれ同表の右欄に定めるもののいずれかを用いること。

イ 無症状病原体保有者
医師は、診察した者が(2)の臨床的特徴を呈していないが、次の表の左欄に掲げる検査方法により、重症急性呼吸器症候群の無症状病原体保有者と診断した場合には、法第12条第1項の規定による届出を直ちに行わなければならない。
この場合において、検査材料は、同欄に掲げる検査方法の区分ごとに、それぞれ同表の右欄に定めるもののいずれかを用いること。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

まず、届け出基準アの患者についてです。
「疑われる~」との文言があることが、やみくもな検査強要の論拠のひとつになっています。

ですが、その前文を読んでみましょう。
「(2)の臨床的特徴を有する~」と明記されています。では、その臨床的特徴はいかがでしょうか。

致死率が10パーセントと記載されていますね。

当然、それだけ重症度の高い何らかの感染症ならば、筆者も届け出の義務が発生すると思います。
ですが、2022年11月時点で、COVID-19の致死率は0.04パーセント以下であることが明らかになっています。

厚生労働省のホームページでは、「第6波」とメディアに名づけられたウイルス陽性者数ピーク時の集計結果が表示されています。
→【厚生労働省による『第 6 波 における重症化率・致死率について( 暫定版)』】 
この時点でも死亡数にカウントされた率は、最大でも90歳代の6パーセントでした。

COVID-19の隠れ患者が多数と見込まれることや、そもそも死亡数としてカウントされている者のうち、直接死因はCOVID-19以外、という例が半数近くにのぼっている事実も考えると、真の致死率は数値で示されるよりもはるかに少ないでしょう。

つまり、2022年11月のいま、我々が直面しているCOVID-19は、感染症法の定めている「臨床的特徴」に合致しないのです。

もういちど、アの文を読んでみましょう。

そこには、検査の前提として「臨床的特徴を有する者を診察した結果、云々」と書かれていますよね。

ですから、「発熱患者は全例COVID-19の検査をすべし」という一連の狂気じみた行動は、法的に照らし合わせるならば、

「致死率10パーセント以上の疾患が疑われる発熱患者は検査すべし」

でなければなりません。いま、COVID-19は致死率10パーセントにも満たないので、実は感染症法のアを満たさないのです。

ちょっと言い過ぎかもしれませんが、法律を自己満足のために都合よく拡大解釈して、法の定める制定目的に反している者とは、すなわち社会的有益性を損ないながら、国民に有害かつ無意味な検査を強要する人々、となります。

むしろもっと厄介なのがイの無症状保菌者への対応です。

-3.「やみくもに検査をやって、偶然陽性反応が出たら届け出ないといけないから、やみくもに検査していいんだ」は正しいのか

この感染症法のイの条文が、

「無症状でも届け出ないとならないんだ。だから検査するものだ」

の強烈な主張の最大の論拠かもしれません。

ですが、これもちょっと待ってください。
イに記載されている状況とは、どのような状況でしょうか。

それは、

「何も症状がないのに検査を先行して陽性と出た場合」

しか想定されません。

これは何を指しているかというと、「やみくもに検査をやって、偶発的に陽性反応が出たら」という意味です。

ですから、このイを検査乱用の論拠とするには、

「やみくもに検査をやって、偶然陽性反応が出たら届け出ないといけないから、やみくもに検査していいんだ」

という破綻した論理展開になってしまいます。

多くの医療施設で平然と行われている、「病棟でCOVID-19陽性者が検出されたから、一斉検査を強要する」の法的根拠とは、実はこの程度の内容に過ぎません。

「抗原検査での陰転化を確認しないと病棟を開放(解放)しない」という流行文化が、いつ誰によってはじめられたのかは定かではありませんが、COVID-19は放っておいても7日から10日前後で感染力が弱まることが知られています。

さらに、厚生労働省が医療従事者の療養期間の短縮を決定したことを思い出してください。

この厚生労働省の決定を肯定的に解釈するならば、それだけ「COVID-19は大したことがない疾患であり、だらだらとした療養は不要。ほかの人にうつっても重大な危険は起こらない」と省が認めたことになります。

そうでなければ、医療従事者だけ感染力を低下させる特殊な神通力を備えているとでもいうのでしょうか。

医療従事者は、この行間を読み、省の言わんとする部分を察するべきでしょう。

で、あるにも関わらず、一斉検査や陰転化を必須化することに、どのような意味があるというのでしょうか
インフルエンザウイルス感染のとき、いちいち陰転化を証明しましたか?
もっと致死率の高い敗血症のとき、退院前に血液培養を必須化していますか?

どう考えてもおかしいですよね。

重大な疾患であればこそ通用するハナシなのに、COVID-19がただの感冒にすぎなくなった時点で、法律と現場の解釈の歯車が嚙み合わなくなっている感じです。
こまごまと法律の解釈を書きつづりましたが、決定的なのは、無思慮な検査を推奨する文章はただひとつもないのだ、というところでしょうか。

国民に有害となるかどうかを熟慮せずに、「発熱したら抗原検査をするのが当たり前!」という程度の発想では、医療従事者として失格と言わざるをえません。

また、まん延防止の名のものとに検査乱用を図る人もいますが、それも、特措法の当該文章は、

「第三章の二 新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置
(新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置の公示等)
第三十一条の四 政府対策本部長は、新型インフルエンザ等(国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがあるものとして政令で定める要件に該当するものに限る。以下この章及び次章において同じ。)が国内で発生し、特定の区域において、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある当該区域における新型インフルエンザ等のまん延を防止するため、新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を集中的に実施する必要があるものとして政令で定める要件に該当する事態が発生したと認めるときは、当該事態が発生した旨及び次に掲げる事項を公示するものとする。」
とありますから、この条文が適応されるのは、あくまでも「国民の生命や財産に著しく重大な被害を与えるおそれがあるもの」に限定した話なのです。

ただの感冒が、国民の生命や財産に重大な被害を与えるとは、とうてい思えません。

したがって、このまん延防止にかかる法的規制も、2022年11月では形骸化していると断言してよいのです。

日本弁護士連合会の「2020年宣言」は、コロナ感染症にかかわる法的課題や人権問題、特に、先に述べた特措法の恣意的運用への重大な懸念を表明しています。

この「恣意的運用」とは、

「熱が出たからと言って週に何回も抗原検査を強要される」

「いいから黙って抗原検査を受けろ、でないと罰を与える」

という一方的な弾圧政策を指しているのは火を見るより明らかでしょう。

むしろ、法的に照会されるべきは検査積極派と、その原理主義者とも置き換えられる検査強要派の人々かもしれません。

このことは、のちの世に憲兵隊やゲシュタポが粛清された歴史を読み直した方が理解しやすいと思います。

では、なぜ検査積極派は暴論と自覚しないまま、わざわざ「2類感染症だから」というもっともらしい枕詞を使うのでしょう。

それは、COVID19への過剰診療を「2類感染症ですから」で正当化するのが誤っているワケ(後編)で述べます。

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