この記事は、2020年8月19日に修正しました。
Ⅱ. なぜ短絡的な処方になりがちなのか
-1. 研修医時代からの表面だけの勉強法が常態化??
-2. 奇抜な報告には要注意!
Ⅲ. 医療の本質は”やむをえず”
Ⅳ. まとめ
※本稿の論旨は、すべて筆者個人の見解を基に記述しています。
・・・診療について思うこと。
今回は、さいきん筆者が感じたことを思いのままに書きつづってみます。
Ⅰ. 「エビデンスで証明された」の罠
「この薬は予後が改善する」
「この疾患にはこの薬が1st choice」
といった記事や意見をよく目にします。
たしかに、大規模臨床試験で有効性が証明された薬剤はあります。
いまや、急性冠症候群に抗血小板薬やスタチンを処方しない選択肢は無いでしょう。
慢性心不全にたいしても、認容性のゆるすかぎり、β遮断薬やレニン・アンジオテンシン系阻害薬を導入します。
しかし、このような“エビデンスで証明された”とされるクスリを処方することが、いつの間にかルーチン作業に成り果てていないでしょうか。
原著を精読されることなく、「こういうもんだから」と患者さんに押しつけてしまっていないでしょうか。
筆者がそれを実感するのが、昨今のSGLT2阻害薬の過剰ともとれる広告です。
「心疾患症例への予後改善効果が示されたから」
と、あたかも冠動脈疾患へのスタチンであるかのような処方のされ方が目に余るのです。
SGLT2阻害薬が、心不全に対してそれなりに効果が期待できる薬剤であることは否定しません。
ですが、いまの“SGLT2阻害薬産業”の祖たるEMPAREG試験は、選択と交絡のバイアスが強いうえに、虚血性心疾患と脳卒中の発症リスクは抑えられておらず、
「有意差が出たよ!」
とされる「心血管死」についても、その内訳や文中の定義をみると、約40%が本邦でいうところの「急性心臓死」に相当するものです。
真の一次エンドポイントである3-point outcomeは有意差を証明できずに終了しており、
「有意差が出た!」
と喧伝されている“エンパグリフロジン群”なるものも、本来のデザインを曲げて作りあげられた、エンパグリフロジン10mg群+25mg群の合算値にすぎません(単独比較では有意差が出ていません!)。
せっかくランダムに3群に振り分けたのに、解析のときに2群にしてしまっては、解析者の恣意性が強まります。
正規分布していれば統計手法上は問題ない、ということなのかもしれませんが、釈然としないやり方です。
また、コントロール群とエンパグリフロジン群はランダム化されているハズなのに、なぜか両群でHbA1c値に大きな差が出たままになっています。
まるでコントロール群が放置されているような印象さえあり、はたしてSGLT2阻害薬群との間で適正な盲検化がなされていたかどうか、怪しさすら残ります。
つまり、あれだけ大きく取り上げられているEMPAREG試験のエンドポイントとは、非常にファジーなものなのです。
サブ解析にきわめて近い統計手法なのに、そうした背景はほとんど知られることなく、
「SGLT2阻害薬だけが、糖尿病合併の心臓病に効果があるんだよ」
というハナシだけが一人歩きをしているのです。
Ⅱ. なぜ短絡的な処方になりがちなのか
患者さんに処方をするからには、きちんとひとりひとりの病態をかんがえて行われるべきですから、
「糖尿病なら1st choiceでコレ」
という概念そのものがおかしいはずです。
ですが、こうした短絡的なアセスメントと処方が常態化されつつあるように感じるのは、はたして筆者だけでしょうか?
なんとなく、実地医家たちの間で
「エビデンス」
というwordが、黄門さまの印籠のごとく絶対的な抽象物として崇められながらも、その中身はあまり咀嚼されず、conclusionのみで「エビデンス」とか「立証された」と称されていないでしょうか?
-1. 研修医時代からの表面だけの勉強法が常態化??
もしかしたら、いまの臨床研修制度の実態と関係があるのかもしれません。
(なんでもかんでも制度に絡めるのは、筆者のよくないクセですが・・・。)
いまの研修医たちは、めまぐるしくローテートしていく研修をこなすために、表面だけの学習に終始してしまうケースが多いのです。
この稿を読んでおられる皆さんの周囲にも、もしくは皆さんご自身が研修医だったときも、簡易なガイド本で「わかった気になる」といった経験はなかったでしょうか?
筆者は、その行為自体は批判しません。むしろ効率よくこなした方が、短い研修期間で得るものは大きいでしょう。
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ですが、ローテートが終わったあとになっても、表面だけの勉強法がそのまま習慣化(いや、風習化と呼ぶべきか)してしまうと問題です。
きっと、論文を精読して臨床応用する、というスキルを身に着けられないままになることでしょう。
そうした元・研修医たちも、いまや中堅層になりつつあるわけですから、論文を吟味することなく、表面だけのconclusionを鵜呑みにした処方が常態化していってしまうのも、無理はないかもしれませんね。
-2. 奇抜な報告には要注意!
かくいう筆者自身も、すべての論文を精読できているわけではありません。
物理的に時間がないからです。
m3やケアネットなどのアブストラクトの和文を斜め読みして済ませてしまうこともあります。
でも、やはり「糖尿病のクスリが心臓にもいいらしい」といった奇を照らった報告や、さいきん妙に講演会でホットな話題に関しては、いちど立ち止まって、きちんと報告の隅々までしらべ、自分でデータの再解析をしなおすようにするべきではなかろうかと思っています。
いつ、バルサルタン事件のような悪夢が再発し、実地医家たちが恥をかくかわかりませんからね。
Ⅲ. 医療の本質は”やむをえず”
こうした心構えをつねに心にとどめておくには、
「医療の本質は“やむをえず”」
という精神を抱くことが大切だと思います。
医療とは、本来病気にかかってしまった不幸な人を支援する公共サービスの一環です。
すなわち、わたしたちが行うあらゆる医療行為は、“やむをえず”行われるべきものなのです。
やむをえず投薬しますし、やむをえず手術をします。
やむをえず通院してもらい、やむをえず検査をします。
こうした精神を忘れ、
「この病気にはこのクスリがいいはずだ、エビデンスがあるから飲まないという選択肢はありえない!」
と主張するのは、すこしいかがなものでしょうか。
わたしたちが処方するのは、れっきとした強力な医薬品ばかりです。
通販のサプリメントとは薬効もちがいます。
副作用も強く出ます。
だからこそ、流行にあおられて、真のアウトカムを吟味しないままにうかつな処方例がでることには、「待った」をかけたいのです。
Ⅳ. まとめ
わたしたちは、毎日のようにさまざまな研究結果を耳にしながら、すこしでも日常診療の質を高めようとしています。
その医療の質の担保となるのがエビデンスなのですが、それは企業広告や医療マガジンの抜粋記事を読むだけではとても不十分です。
時間的にむずかしい面もありますが、原著を精読し、どんな統計手法なのか、どんな患者にあてはまるのか、批判的吟味を行う姿勢が重要ではないでしょうか。
表面だけの勉強法から脱却し、論文の内容を吟味するスキルを磨きましょう。
医療とは、”やむをえず”行われるものであるという心構えを持ちましょう。